ボダイジュ

菩提樹といえば、ブッダがこの木の下で悟りを開いたという仏教に縁の深い植物なので、お寺によく菩提樹が植えてある。
たいてい、「菩提樹」と立て札が立っている。

先日、その木を見ていたら花が咲いている。小さな花で、広葉樹によくある地味な花だ。アボガドもこんな花だな〜とか思ってたんだけど・・よく見たら葉っぱの形のハート型が甘い気がする。インド土産でもらった栞が菩提樹の押し花(葉の)なんだけど、形が違う。だいたい、有名なタイのアユタヤ遺跡の石仏の仏頭(ぶっとう、ということばありますよね?あまり使わないけど)に菩提樹がからみついている、というのがあるじゃないですか。
これ、この目で見ましたよ。下の写真。
菩提樹って、ちょうどガジュマルみたいな幹のはずです。
ええ?と思って帰ってウィキで調べたらよくお寺に植えてあるのはインドボダイジュではなくって、シナノキだそうです。シューベルトの「菩提樹」も菩提樹ではないそうでセイヨウシナノキだそうです。

ああ、代用品だったのね。
それにしても解せないのが数珠を買いに行ったら、やたら「菩提樹」と書いてあるんです。
菩提樹の実?しかもクルミみたいなゴツゴツした茶色のやら、大豆みたいな色で斑点のあるツルツルやら・・これも疑問だったんだが、検索してたらジュズボダイジュという、これまた違う種類の植物があるんですね・・勉強になった。
(写真は自分で撮影)

シュロ

庭に長くて強そうな緑色の葉が伸びていて驚いた。
根本のほうはタケノコ状だが、一目でシュロとわかるモロモロが絡み付いている。
むしろ葉柄をシュロの皮で巻いた作り物のヤシが生えてきた感じ。

確かに山〜じゃなくても竹薮や墓地の近くなどでも自生しているのを見かけることはあるが・・・
家人に聞いたら50年くらい前にシュロがあって、伐採したという、それが復活?

さて、シュロは箒の材料や玄関マットとして有名だ。実用性が高い、といっても素人がこれを加工するには難しい。
一見、ヤシの木ふうのスタイルなのでトロピカルな気分を味わえるの好き。

確かに実がなると、南国で見かけるナツメヤシのような小枝に実が成るあたり、すごく似ている。
しかし、似ているのはこの部分だけで、ナツメヤシは果実が大きく食用になる。葉はヤシ、それに幹が鱗状で、ソテツのような感じだ。
ガウディの建築のモチーフに取り入れられている・・というか古代建築の時代から石柱はこれをモチーフにしている。

一方、本題のシュロは葉が扇型というか放射状。放置して枯れるとけっこう鬱陶しい感じ。

実用性の話題に戻ると、昔読んだ白土三平の忍者のマンガで、家の前に樽で飲料水を溜めているんだが、ここに毒薬を入れられても砂や小石などの濾過材が入れてあったので毒が効かないのさ、みたいなことを言って樽の断面図が描いてあった。そこにシュロの皮という層もあった。

このシュロ、どんどん成長中なんだよね・・

写真は新しく生えたシュロ と 雑木林に自生するもの。実が付いている


ちょっとした見所 京都市下京区川端五条下る東側の旅館から背の高いシュロが何本も並んでいるのが外から見えておもしろい。

ギンレイソウ

京都市の普段は入れない施設なんだけど、お花のきれいな期間だけ一般に無料開放されているところがいくつかある。
その一つへ行った時のこと。花の写真は難しいな〜、と思っていたら皆がカメラを向けているのとは反対側のとくになにも無いところにコレが生えていた!
当然大勢の人がいたんだけど、コレに関してはとくに見向く人もおらず、地べたに這いつくばって何を撮ってるのかと思われたが、そのうち知らない人3人ほどであれこれ話をすることになった。
その時私はうろおぼえで「ギンリュウソウ」か「ギンリンソウ」と言ってしまったら「知らないけど少し違うと思う・・」と言われてしまった。

初めて見て驚いたね〜 「西の魔女が死んだ」に出てくる植物の一つですね。それでウロオボエだったんです。

葉緑素を持たないそうですが白すぎます。

花の中のオシベ?かな、とかもグレーなんですよ。
今年も咲いてるかな〜

ヒョウタン

soui2009-08-18


祇園祭りの時にふと街路樹の植え込みを見たらヒョウタンが生えていた。
いや、これは勝手に生えたんじゃないぞ、誰かがここで育てているのだ。
100mほど離れた食堂の前の植え込みからカボチャが生えていたが、これは生ゴミから生えたんだろうけど・・

20日ほど経って見に行ったら、きれいに整えられて雌花がいっぱい付いて実が成っていた。うれしいね

いろんなた映画にヒョウタンが出てくる。例えば「十戒」とか。(例えが古すぎ・・旧約聖書の時代ですね)そんな時代はヒョウタンがあるかないかで水を運ぶことが大きく左右されるから、それこそ生きるか死ぬかだ。

そんなわけで、私もヒョウタンを育ているときは人類の歴史を顧みるもんだ、いや本当に。
病害虫も多く、最終的に立派なヒョウタンを作るのはとても難しいことと思い知った。
ヒョウタンは枝分かれして剪定をして、孫枝に雌花がよく付くというが、すごい上手に育てていらっしゃる方がいる。私も見守ってるぞ。

soui2009-08-12

この花が見たくて、この実がすぐに見たくて家で植えることにした。もう15年になる。
どこかで実が手に入れば種子を取りだして発芽〜成長はわりと簡単。
しかし、やはり野におけレンゲソウという。これは私のテーゼでもあるが・・カラスウリアサガオのように仕立てはいけない。もう、植えたところが「野」になってもいいくらいの覚悟で育てるというか、放置しておけば、けっこう見事に開花、結実となるようだ。

昔は不勉強で根が球根状なので球根のように休眠できるのでは?とか思ったがこれは間違い。生育期にすぐ移植しないと枯れるようだ。また、種も雌株と雄株になるものがあるので、一粒、一株ではどちらかしか育たない。
今年はウリハムシにかなり食われた。なかなか難しい。もちろん、日没後に開花する花もコンパクトカメラでの撮影も難しい。

詳しくは・・

http://homepage3.nifty.com/hisakatano/qg/karasuuri/fuzei.htm

mixiにもカラスウリコミュあり

フォトライフに大きい写真あり

と、呼ばざるをえないものが存在する。

soui2009-08-10

それを写真にとって愛でようというのが、このカテゴリです。

先ずは家の前の部分に植物が展示されているもの。これがあんまり整然とスキ無く配置されているとそう面白くないのだが、もう、家が植物に埋もれてるような野趣溢れるものに興味がある。
面白いものが一つ、二つ、それも所有者が意識しないで、すごい状態の植物があるもの。

第一回目は家の前に街路樹があると、そこも園芸テリトリーと化す例の一つ。

街路樹に巻きついたツルものと、ススキ様の植物で街路樹の土の部分を覆っている。しかも小さな竹垣付きという和風の一品です。

木娘(きむすめ)のこと

soui2009-03-21

これは父から聞いた話を思い出したので書いておこうと思った。

家ではあまり話しをしなかった無口な人だったが、まれに昔の奇妙な風俗習慣を垣間見ることのできる興味深い話しもした。今はそーゆう話しがあまり聞けないのだ。もっといろいろ話しをしておけばよかった・・
なんて思った今日この頃、こんなエピソードを思い出した。長い話しですヨ

たまたま2人で夕食をしていた時のことだ。
NHK・夜7時のニュースの最後の話題で、いわゆる「火星のスフィンクス」についてNASAが公式に人工物ではなく、自然の物体だと発表した時だった。

すいません いきなり突拍子も無い話題ですね・・・説明しよう。
昔から火星には植物が生育しているような模様が見えたり、火星人が存在するという想像がしっかりとあった。私の持ってる子供用天文の図鑑にもちゃんと載ってたりして。

時代は進んで大学生の頃、家庭教師で教えていた中学生の読んでいたG社の雑誌で火星のスフィンクを知った。
火星にはさらにピラミッドもあるというから、想像が進化してるなぁと思った。

さて、NASAによると「人間は自然界に何か似たかたちを探しだそうとする習性があるようだ」とのコメントでニュースは閉めくくられた。

その時父がこう言った。「昔、(戦前〜戦後頃まで)『木娘』という遊びというか噂があって・・」 

キムスメ(生娘)って時代劇でいうところのヴァージンであるから、親子の会話で突然キムスメなんていわれると面食らう。それを察したか、すかさず父は続けて語った。

とある神社やお寺の樹木がまるで女性の姿のように見えるそうで、木の娘=キムスメなのだ。
それも昼間ではなく夜。暗闇の中をまるで日本髪を結った女性そっくりに見えるという。

社寺に植えてある樹木ならクスノキなどの常緑広葉樹であろう。

クスノキはムクムクしてるから、それが丸みをおびたシルエットとして浮かぶ姿はなんとなく想像できるような・・いや、できないような。
それもどうやら「等身大の女性」ではなく「巨人」だそうだ!
ともかく自然界に何かを見出そうとする習性に基づく遊びだ。隠し絵というか見立てというか・・

季節は夏だ。納涼・ミステリーっぽい話題が最高だが、ただ「お話し」で終わるだけでは面白くない。実際にこの目のでみてやろう!というのに、木娘探しという遊びがあったのだろう。

けっこう大勢の人が集まったりしては「居た!」「見えない・・」とかやってたそうだ。
その出現ポイントは新聞記事に載ったりもしたそうで、京都のあちこちにあったそうだ。
テレビもカラー写真もなく、現代とは比べ物にならないほど夜も暗い時代、みんなの目玉→脳の認識力は現代人とは違って、かなり鋭敏だったはずだ。

そんな人達が集まって現代で例えればモギ先生の提示する画像みたいなことをライブでやってたんだろう。

僕もキムスメを探す時がある。でもそんな状況自体がマレなのだ。本当にまれに、灯りの無い夜に暗い樹木を見る機会があれば眼を凝らすのだが、全くもってつかめない。

木娘に会える時は来るのかな?
(写真と本文は無関係です)